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部屋とYシャツとわらG

部屋とYシャツとわらG

小学部6年生 1学期 夏休み

2010/05/27
続・壁紙
 一応、あれから7ヶ月たった。それをよく粘ったとするべきか、早すぎると見るべきか・・・。 ↓
http://plaza.rakuten.co.jp/autism777/diary/200910010001/

 この時は、壁紙の修理がメインだったが、1ヶ月くらい前にこの壁にSが大キックをしてしまい、この写真の小さな穴が10cm×10cmくらいの正方形の穴になってしまった。とりあえずどうしたものか困ったので、手近にあった紙(なぜか手話の五十音表)を貼ってしのいでいた。

 すごく怒ったせいか、穴が見えないからか、しばらくはSもそこを広げようとはしていなかった。しかし1週間前のある日、私が家に帰ると下の階の祖父母が「今日はいい子でおとなしく2階にいるよ。降りてこないよ。」と言う。

 2回の寝室の扉を開けると…

 「いい子」は紙をはずし、下の壁紙をがんがんはがし、穴の中に手を入れて漆喰(しっくい)?のようなものをつかんでつばと練ったもの?を、裸の自分の胸になでつけ、さらにプラスティックケースなどに塗りたくっていた…。 絶句…。

 とりあえず、この日はただ怒るだけでは許さず、ことあるごとにどづいたり、不機嫌な顔でにらんだり、「父は怒っている」ポーズを寝るまでの数時間続けた。芝居も半分あるが、疲れて帰ってきて部屋の掃除2時間…本当に腹が立つ! ちなみに様子を見に来ないでいい子だなんて言っている連中にも…まあここは書かずに置こう(笑)。

 で、どうやって修繕するか悩んだが、ひとまずその日のうちに開始。大きな穴の周りをふさぐ形で、何枚も下敷きのような素材の写真をパウチしたものを重ねて貼っていった。その昔、ことばを覚えさせようと、「学校」とか「晴れ」とかの絵を打ち出して作っていたカードだが、今はもう使っていないので、そのA4サイズのパウチされた絵カードを5枚くらい重ね貼りした。でも穴のところはやはり弱いし、厚みのあるこの上に壁紙が貼れるのだろうか…。

 翌日、壁紙の上に貼れる壁紙…というヤツを買って来て貼る。剥がされていない所は3層目になるが、これはすっかり慣れていてうまく行った。

 しかし、このままでは穴だった部分がペコペコしていて、Sにそこを突かれることは必至。そこで、今回ホームセンターで見つけた新アイデアの出番となった!

 これは、タイルに見えるがプラスティック製の貼り付けタイプのもの。裏は発泡スチロールで両面テープで貼り付けるのだが、3×3のタイルで1枚のものだ。硬さはなんとも微妙なので、Sの攻撃に耐えられるかは不安だが、ひとまずタイルに見えることで「攻撃の意欲」を半減させられるに違いない。

 無地のもの6枚2350円はどう見てもお風呂のタイルのようだったので、奮発して6枚2850円の大理石風(笑)を購入。その6枚を貼ると一見ホテルのような趣に!

 修理が終わるとすぐに敵(S)がやってきて、いろいろとチェックしている。足で触るたびに注意して(そのうちキックに発展する可能性がある)、手でなでたり、指ではじいたり、つばを塗ったり(おいおい)する分には許してやって、この日の実験は終了。

 翌日、続きのタイルを買って来て端っこまで完成させた! 結構納得の仕上がりだけど、大理石風は寝室に使うと少しだけ「血天井」風で怖いのであった(笑)。

 ひとまず、次の修理の日記を書かないで済むことを祈りたい…。と言いつつも、タイルが3枚半まだ余っているのでそれで対応できるうちはまだ許せるかな。(笑)
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2010/06/02
副籍交流の様子(連絡帳下書きより)
 張り切って登校。朝の会は落ち着いて座り、朝の運動ではゆっくり走るように促されても動じず、ほぼ歩きとおしました。

 2時間目の音楽は、みんなの歌に足でリズムを取っていましたが、そのうち歌声をうるさく感じたのか、隅っこで耳をふさいで不機嫌に。
楽器交換遊びでマラカスや鈴を手にすると、上手に鳴らしていました。他の子とは違う手首の柔らかい演奏に親はひそかにニンマリ(笑)

 中休みは、勝手知ったる保健室に走りこみ、靴下を脱いでベッドへ。新しい養護教諭に後からごあいさつと状況説明。

 3・4時間目の国語・算数は、先生が用意してくれていたペグや絵合わせやパズルの教材を、職員室に入って自分でとってきました。ただ3時間目はまだ全体学習。途中で待ちきれず、個別学習に入りました。休憩を挟んで40分くらい学習した後、課題が終わり、給食までの30分が持ちそうもなかったので外遊びに誘うと体育館への道を猛ダッシュ。

 誰もいなかったので一人体育。父とボールを転がしあったり、バスケットゴールにシュートを決めたりしました。

 給食では、例の米せんべいがないことに不満げでしたが、覚悟したのか、かきあげ天ぷらを二人分(父の)、中華風スープを二人分(父の)をたいらげ、それでもかきあげ天ぷらをさらに要求。
 残菜「0」の大食6年3組にそんなものがあるわけなく、「ないです」といくら言っても通じず、他のおかずや白ご飯を食べて、「これを食べたから天ぷらよこせ」とアピール。父に言っても無駄と思ったのか、箸を持って食缶のところに行き、まさに残りかすをついばんで食べていました。

 昼休みはなぜか図書室に突入し、はしっこのじゅうたん部分で、ハイハイをしたりくつろいだりしていました。はやっているのか、「光とともに…」を読んでいる6年女子が数人いたので、「知っていると思うけど、あれが自閉症児の実物です」と紹介しておきました。

 5時間目は電池切れ…自分で職員室に行きソファでくつろいでいました。

 さらに夕方は歯医者の定期健診へ。緊張して4回もトイレに行きました。(そのうち1回は大便が本当に出た) 

 いざ始まるとすぐに寝て、しっかりと磨かせたり、ローラーが回る機械も時々先生の手を握って邪魔しながら素直にやってもらいました。

 家に帰ると疲れたのか布団に直行して寝入りました。
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2010/08/04
下関帰省 1
 カウントダウンするように数日前から「あと○○回寝たら旅行だよ」と伝えてきたのが裏目に出たのか、Sは興奮してほとんど寝なかった模様。朝5時前には勝手にふとんから起き出して下の階に行き、じじばば(my義父母)に朝飯を要求。張り切りすぎである。

 東京駅まで2時間、新幹線も5時間はかかるので(それでも飛行機よりこちらが良い)普通なら寝るのによいのだが、すやすや寝るのは親ばかり。特に昨晩もよく寝ていたS母(妻)は「お前は何者?」と聞きたいくらいほとんど寝ている。

 Sは「旅行の移動中はこれだ」と当たり前のように私のウエストポーチをまさぐり、昨年夏から定番になっている携帯デジタルミュージックプレイヤーに夢中。いつもの癒し系ユーミンに満足するだけでなく、今回は他のアーチストの曲になっても文句を言わずそのまま聴く。ビリージョエルや清志郎やSuperfly 果てはバックビートまで(笑)。

 新下関ではなくて、小倉まで乗車。昨年行ったスペースワールド(以降スペワ)のプール(ミューナ)と八幡(やはた)ロイヤルホテルが良かったので、今回も利用。毎年、下関の両親とどこかに1泊するようにしていたのだが、今回、自分たちはここに2泊し、2日目に両親(my実父母)を呼び寄せて、車で下関へ帰るというプラン。

 実は昨年スペワのフリーパスを買った。2日分の料金で年間パスが買えるという関東や関西の商人には信じられなさそうなお得な状態で2日間使うために買ったのが、その年間パスが8月6日までだったので、今年は日程を早めて帰って、それを2泊3日で遊びたおそう(もちろん更新はしない)というさらに貪欲なプランであった。結果、ホテルにもスペワ内の食堂でもお金を使ってあげているから、どっちがわなにはまったのかは微妙だが…。

 ホテルに到着してくつろいだのが 午後2時半頃。窓からスペースワールドのプールが見える。昨年のSはそこで着替えてすぐに入れるつもりが、暑い中を10分歩かされ、チケット買うのに並ばされ…が待てずにスペワ入り口で号泣&寝そべり足バタバタ…となったのだが、今年はそうならないように、「まだしばらくはスイスイなしです」などと伝えて、少し部屋で休んでいた…するとなんと、爆睡開始!(笑)

 S父(私)は館内で買い物をしたり、ひまわり温泉なる大浴場を下見&堪能するなど大喜び。部屋にもどると、また寝ていたS母には感動に近い驚き…。

 夕方4時半ごろになってからプールへ。更衣室での混雑を避けるために着替えを持って、水着を着ていったのだが、Sは「水泳帽をかぶるこだわり」があるため、水着を着るとセットでかぶらないと気がすまない。野球帽を断り、スイミングキャップをかぶった状態でホテルを出て街中を歩く姿は尋常ではない(笑)が旅の恥は掻き捨てである。

 まずは抜かれた昼食をパーク内のうどん屋さんでとる。カキ氷と天ぷらうどんをよく食べた。私もここの肉うどんは新下関駅内のものに匹敵するくらい好きなので満足。

 夕方になってもまだ暑かったので、プールは気持ちよかったが、人も結構多くいた。
パークは9時までなので、プールを出てからも遊べた。夜の遊園地は独特のムードでよい。パレードが始まった。今年もテーマはロックで、勝手に日本語の歌詞がついている洋楽もどきの曲だが、ディープパープルからドゥービーブラザーズのリッスントゥザミュージックまで、なかなかの選曲のメドレーを聴きながらイントロクイズのように考えるのは楽しい!

 ちなみにこちらのパレードは、列が短いので、コースで待つのではなく、一緒にパレードする(笑)。うるさいと感じそうだったSだが、耳をふさぎながらもパレードの後ろについて歩き始めた。なんだか楽しそうなのがわかるようだ。

 そのパレードの列についていくと到着点にはステージがあった。そこでのロックショー(ダンスショー?)を見ながらくつろぐ。シュープリームスにヴィレッジピープルにつのだひろのメリージェーン(笑)に、バブルガムブラザーズとなかなか楽しい選曲で、キャラクターや人が次々とステージに立つ。ただS本人は耳をふさいでうずくまっているが、顔をのぞくとニヤニヤしているので、自分なりに楽しんでいるよう。お姉さんに「踊ろう」と誘われると身を硬くして耳ふさぎ。いなくなるとまたニヤニヤ。

 結局最後まで見て、その後、夜の観覧車に乗り、少し歩いてイオンへ。ここは夜10時まで食事ができるし、スーパーで買出しができる。たこ焼きなどを食べてホテルへもどった。

 ホテルに帰ってからは温泉に。念のため、入る直前のおしっこでトイレに。そこで便器に座ったなと思ったらいきなりの大便(見事なバナナ)! そのまま入ったらあれが湯船に出ていたかも…と思うと自分の用心深さに感心する。

 ややお湯が熱めなせいかなかなか入れないS。湯船の中を立ってうろうろして、体を慣らしてからゆっくり入るあたり、泣いたり騒いだりせずに工夫できるようになったんだなあ…と思った。おかげでいつもよりはくつろげた。

 部屋に入って電気を消すと、そこは宇宙の世界。今回500円増しで「宇宙の部屋」なるところを取ったのだ。蛍光シールやブラックライトで幻想的な世界。これをゆっくり眺める…はずなのだが、ぶら下がっているスペースシャトルのぬいぐるみや宇宙飛行士を引っ張って落とそうとする男が…。ここのキャラクター、ビッキーとラッキーの大きなぬいぐるみも、足の台にされたり、ポテトチップスをちぎる皿代わりにされたり、しまいには目玉をはずされたり…とすっかりかわいそうなことに。

 翌日も泊まるので撤去するよりは本人を慣れさせようと「だいじ・だいじ」と声をかけ続けるうちにぬいぐるみと添い寝していた。
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2010/08/05
下関帰省 2
 朝のホテルのバイキングは可もなく不可もなくといった味。でもこういうところで一緒に食事が取れるようになったのはいい。昨年はまだ私たち(S両親)だけ交代で食べたような気がする。

 朝ゆっくり起きて、ゆっくり食事をしているうちに下関のじじばばが到着。本当はスペワで合流する予定だったが、さあ出発というタイミングで電話が鳴ったので部屋で待つ。
 Sは一年ぶりの再会に見つめあったりじゃれついたりそれなりにサービスをしているが、「お前らも早く着替えろ!」と言わんばかりに、ばばのかばんをあさったり、窓から見えるプールを指差したりでこちらは苦笑い。

 みんなでプールで泳ぎ(Sばばは見学しててもいいのだが泳ぎたがる)、その後はまた昨日のうどん屋で昼食。まだカキ氷をやっている時間ではなかったのだが、「これがないと困るので食事もできないのですが、なんとかできませんか」と大人数で着席した後に頼むとOKになった。

 みんなはホテルに戻って休息。私はSじじをともなってベスト電器へ。昨年もこの帰省中に「飲み屋で携帯電話落とす→友人が預かる→友人がかばんに入れたまま紛失→どこかわからず→しめのラーメン屋から出てくる」という憂き目にあった薄型防水携帯…今回は前日に過信して水着のポケットに入れたまま泳いでいたら…壊れた。

 今まで同じポケットの中で川遊びには耐えてきたのだが、それは水に出たり入ったりしていたから。30分以上もポケットの中でずっと水に入ったところで「あっ」と思い確認したときは問題なし。「さすがだぜ、俺の防水携帯」と思いそのままにしていたら、1時間後、液晶の表示が消えた。その時にすぐに水抜きとかすればまだいけたかもしれないが、まだSと泳ぎ続けなければならなかったのでひとまず妻に預けて中身を空けずにふき取ってもらい待っているうちに、すべての表示が消えた…。
 もちろん、説明書を読むまでもなく「そこまでの防水機能」はうたっていないので文句は言えない。

 というわけで、この帰省中に携帯電話で連絡を取る必要もあったので購入のためにベスト電器に行ったのである。昨今は、大型電気店もドコモショップもやたらと値段が高く、さらに一括払いではない契約の仕方をさせたがる。それで昨年からはインターネット通販で「白ロム」という形で本体だけ買ってFOMAカードを入れ替えて使うという形で私のも妻のも使っていた。だから、今回、店で5万とか6万とかかかるようなのしかなかったらどうしよう…という不安があった。

 店のお姉さんに、FOMAカードあり、旅先である、安い端末を一時的に買うのでも良いし、少し高くてもいいのがあればそちらを…という話をすると、自分の番号から現在の契約状況を調べて、最適なプランを紹介…なかなかできる店員でよかった。

 よかったことはドコモショップのポイントが1万円もたまっていたこと。ずっと関わらなくなっていたから使う機会がなかった。さらにショップ関係の店からではないとは入れないSSバリューコースに入れたこと。しかも型落ちの電話機もちゃんと販売していて、古い「らくらくフォン」なら差額100円くらいで買える事になった。

 気をよくして他の機種も調べると、防水機能付きでいいなと思っていたけど関東ではまだ高かった(たぶん相場では白ロムでまだ4万はしていた)のが2万円で買えた!
ということで、本来なら携帯がだめになってがっくり来るところで、なんだかいい買い物をして得したような気になった。なかなかポジティブである。

 夕方からスペワにまた出直して、乗り物に乗る。
観覧車は4人乗りなので、少しのんびりさせてもらおうと私が下で待つことにした。乗る順番さえ間違わなければSが一人だけで乗るようなこともないし、そもそも安全だろうし。15分間くらいのんびりさせてもらい、降りてきたところをビデオ撮影していると妙にみんな明るい。「何かあった?」のか問うと、「少しだけ開く窓にSが頭を突っ込んで、上のほうで取れなくなった」という大騒ぎがあったらしい。いろいろやっているうちにするりと抜けたらしいが、あやうく取れるまで何周も回るところだった!?

 すいているにもほどがあり、室内ジェットコースターに乗ったときには、乗客は私とSの二人のみ。暗い中を走るコースターだったこともあり、ここで事故って取り残されたら…などと考えると恐怖は2倍に。

 スピード狂であるSも、景色が見えないと怖いらしく、しがみついてくるのでますます恐怖心アップ。いつもは乗り物が終わった後に降りたがらず「もう1周しろ」と言わんばかりのSだが、この時は逃げるようにすぐに降りて行った(笑)。

 さて、昨日と同じパレードを同じように追いかけていると雨がぱらつき始めた。イオンに車を止めているのでそちらに移動開始。ギリギリ降られずに何とか到着…と行きたいところだったが、最後の直線200mの信号待ちで豪雨に!
濡れると脱ぐ男S(笑)はこの日は我慢できていたが、食事中に急に脱がれても困るし、風邪をひかないためにもイオンでそのまま服を買うことに。何かこううまくお金を使わされているような気がする。その後はイタリアンの店に。こういう初めての店でもそれなりに何かを食べるし、楽になった。

 車でホテルに戻って就寝。この日もよく寝ていた。
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2010/08/06
下関帰省 3
 朝食バイキングでは前日お気に入りだったちりめんじゃこばかり大量に食べる。この2日間だけでホテルの人が「ちりめんじゃこが今みんなに大人気」と勘違いしなければ良いが。
 この日も朝はまずひと泳ぎ。その後で子ども用のジェットコースターに2回乗る。で、時間をつぶして待ってもらっていたSじじばばに車で迎えに来てもらう。

 乗り込んだ後すぐ、みんなを車で待たせて、わたしひとりだけ東田第一高炉跡に。この日の暑さはすさまじく、他に誰も「私も行く」という人がいなかったのだが、年間パスポートも切れた今、もうここにはしばらく来ないだろうということで、社会科の教師として「1901年 八幡製鉄所」の遺産を見ないわけには行かなかったのだ。

 とても広い空間にそれは立っていた。無料である。しかも他の見学者ゼロ。すごく熱いことを覚悟していたら、ものすごく風が吹き抜けて気持ちよかった。足早に写真を撮るばかりだったが、説明の板もたくさんあり、多分ここには地元の小学生とかが社会科見学で来ているのだろうなあという感じの良い施設だった。

 高炉の中がのぞけるのだが、歴史の重みと吹き上げていく風とあいまって、なんだか不思議な気分にさせられた。歴史のロマン?

 車にもどって今度は若松区へ向かう。せっかくだからあの赤い橋、若戸大橋を見ておこうと思ったのだ。若松と戸畑を結ぶから若戸大橋。下関と門司で関門橋と同じ、他の土地の人にはわかりにくいネーミングである。Sじじ(my父)曰く、「最初は東洋一って言いよったけど、関門橋に抜かれたけー、その後は誰も見に来ん」と否定的だが、こういう素朴な橋のある街の様子…を少し見たかったのだ。特に昔のバンド仲間が育った街だろうから余計にそんな思いがした。

 その橋を通ってきたのだが、自分たちが通っているときはそんなに感慨がない。道の両側に赤い鉄骨とワイヤーが見えるだけだから。渡ってから、橋をやや離れて見たいので、そういう場所に駐車したいのだが止めるところが全然ない。生活には溶け込んでいるけど、観光的なやる気はまったくなしのようだった。

 昼飯に「赤提灯」という名の食事処を予定していたのだが、橋を渡るときに見えたのに、渡り終えてから探すとなかなか見つからない。サンリヴというスーパーに車を止めて、店の人にその位置を聞くのだが、誰の説明を聞いてもとてもわかりにくい(笑)。よほど難しいところにあるのだろうと思いながら炎天下を歩く。街を行くひと数人に聞くと、誰もが店を知っているのだが、誰もが要領の得ない説明をしてくれる。最終的には、サンリブから太い道を橋の反対側に進み、ホテルサンルートの所を右に曲がる…というだけの簡単な場所だった(笑)ので、私たちの中では勝手に「北九州市のみなさんは道を教えるのが苦手」という定義がなされた。説明に困って道案内で歩こうとしてくれたおじいさんまでいてとても親切なんだけど…。炎天下に申し訳ないので断ったが、後から考えると、そこからなら曲がるべき角が遠くに見えていたのだ。

 さて、その誰もが知っていて、誰もが口で案内できない「赤提灯」、高そうな店と思ったら良心的な価格でしかもおいしかった。地元の人たちの集まりに使われている店という感じだった。

 車はいよいよ下関へ。買い物をしてから実家に到着すると、Sは1階の部屋を早速チェック。そして、仏壇に手を伸ばして、「チーン」。

 そうそうこれが好きで、去年も「死んだばあさん(Sのひいばあちゃん)も休む暇がないだろう」と言われていたのを思い出した。
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2010/08/06
下関帰省 4
 スペースワールドに関連して追加の話

 いわゆるキャラクターものとして、ラッキーとヴィッキーというラビットがいるのだが、他にもいろいろいて名前がわからない…というか、覚える気も正直ない。

 でも、この事態は見過ごせないと思ったこと…Sばば(my実母)が「友達に送ったよ」というメールの話を聞いた時。

 ○○さんに、「家族でスペースワールドに来てます。ミッキーにも会えたよ。」と送ったらしい。いくらなんでも違う遊園地にミッキーは来ないだろうし、来てたら大変だし、そんなうわさが流れても大変…というよりどう考えても恥ずかしいまちがいだろうと、Sばばに、もの申した。

 友だちの○○さんから早速返事があったらしく、「楽しそうですね。ミッキーに会えてよかったですね」

 あんたも地元の人間なら、少しは疑え!

 その話がとっくに終わった後、急につぶやくSばば。

 「ミッキー、おらんやったかねえ、私はミッキーを見たと思うけどね」

 デマというのはこうして広がっていくのだろう。ミッキーの天下り…。
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2010/08/07
下関帰省 5
 新しくできた「夢シティ」に行った。近づくと英語表記で「YOU ME CITY」
とある。専門店がたくさんあるいわゆるモールなのだが、「夢」と「あなたとわたし」をかけたいのはわかるけど、ユーとミーだし、ローマ字読みならヨウとメエだし、ゆみシティ…よめシティ…この親父ダジャレとしても苦しいセンスが、それを前面に出してしまうとことがなんだかすごい。

 我が家にとって役に立つような店はないなあ…と思いながら、すでにあきてごろごろするSを起こしながら歩く。おもちゃ屋だけどお盆の灯篭飾りが売っていたり、スポーツ用品店だけど海のグッズしかなかったり、いろいろと驚かされる。

 が、特に買うものもなく1階に下りると、食料品コーナーに、下関みやげがけっこうそろっている。観光地だと人が多くいたり狭かったりするのに、メジャーどころがちゃんと入った状況で売っていてこれは便利である。

 さらに、食事をしようと入った『三休ラーメン』がSのつぼにはまった。九州とんこつラーメン、細めん、ねぎたくさん…好きなのは知っていたが一人前を全部食べていた。

 同じ九州系でも、私は熊本ラーメン系(本来の下関はこっち系)、Sじじは久留米ラーメン系が好きで、二人が共通して「うまい」ということがあまりないのだが、今回は双方からOKが出た。

 Sじじが気をよくしているところで、店を出て、大型スポーツ店でSの誕生プレゼント(9月だけど)のグローブを買ってもらう。学校の昼休みにクラスメイトがキャッチボールをするようになり少しは興味を持っているようだが、家にある子ども用はきれいなままである。が、先日S本人がはめようとしたら手がまったく入らなくなっていた。ひもをゆるめてもまったくだめ。どうも自分に似て手がぶ厚いらしい(笑)。いつも「何を送ろう」と悩む実家両親のためにもS本人に選ばせることができてよかった。

 と言いつつも、最初に本人が取った本格的な高いモデルは却下したけど…野球用というより、手にはめて、つばで磨く用になる可能性が高いからなあ…。

 夕飯はアジの開きを2枚もペロリ。こちらに来るとやはり魚がうまいので、Sも日頃よりよく食べると思う。

 この日は隣の町内の盆踊りがあったので、じじばばには家で休んでいてもらい、三人で歩いて出かけた。お祭りで車を止めるところなどないと思ってそうしたのだが、15分くらい歩いて到着すると、昔はなかった広い公園(というか大グラウンド)が会場だった。

 かといって、町内のお祭りだからスペースが余っており、なんと車の乗りつけOKで、グラウンド内に駐車してそこでくつろぐ…という人たちが結構たくさんいた。

 Sは早速かき氷を見つけ購入し、テント裏の席に座って食べていると、S母がテント下のせきのところを見て、「あの人、見たことのある人だなあ」と言う。
「テレビとかで見たことある人だなあ。もしかしたら政治家かも」
振り向いてよく見ると、安倍晋三氏であった。

 もしかしたら政治家かも…って、一応は元総理大臣だよ(笑)

 写真撮影とか気軽に応じていたけれど、ツーショットをとっても活用の仕方に困るので写メだけとっておいた。ほとんどの若者がそうしていて、たぶん「あべナウ」とか送っているのか人の輪ができているけどみんなあまり近づかない…という微妙な人気であった。
でも、選挙になるとこの県では無敵なんだろうなあ…。
この日は市内の数箇所で盆踊りだったのでそのすべてを回るのか、1杯のうどんすらゆっくり食べさせてもらえずに、また車に乗って去っていった。政治家も大変だなあ。

 さて、その盆踊り大会、太鼓も数台あって実演中。なかなかの迫力。その後でお姉さま方の三味線も10以上出てきて本格的。ステージはすごいけど盆踊りはいつ?と思っていたら、すでにそれが盆踊りの演奏だったらしい。

 踊っている人が数人しかいないので気がつかなかった。昔は店のほうがなくて、太鼓が1つとラジカセとスピーカーと踊っている人しかいなかったけど、何かやり方がまちがっているような気が…。

 新しくできた町のせいか曲も昔聴いたようなのとは違うし(私が子どもの頃いた町は旧市内のそのまた旧市内なので古い)、知らない街にふと来たような感覚であった。

 ただ、若い人で、ゆかたやジンベイ姿の人たちは男女を問わず、そでをめくるめくる…もちろん暑い日ではあったが、あの「これが普通の着こなしやけど文句ある?」というめくり方に、昔の「みんな見た目がヤンキーの街」の名残を見て少しうれしかった。
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2010/08/08
下関帰省 6
 朝から天気もよく(暑すぎるが)、祖父方(Sじじ方)の墓参りに吉母(よしも)へ。滝部(新市内)の山奥で大変だった墓参りが、近くで平地で楽になったのだがなんとなく物足りなさも。

 近くにある吉母(よしも)海水浴場に行く。自分が中学生のとき以来だ。1年生のときにクラス行事で来たのと、3年生のときに友だちと来て、割れたガラスビンを踏んで足を切った時以来。ちなみにそれは陸上部最後の大会の1週間前。当時は今みたいにテーピングが一般的でなかったので、傷口に脱脂綿を詰めて絆創膏で固めてトレーニングを続けて毎日出血&化膿。当日も時々激痛を感じながらも800mで市6位となり、団体優勝のための1点をとった…という根性物語のような「医者に行けよ」のようなことがあって以来である。

 車で11時ごろ到着すると、海の家の駐車場への客引きがすごい。駆け寄ってきて「この先はもう止めるところないよ」と強引に誘導しようとする。とりあえず一度は海のそばの様子を見ようと振り切り、海のそばをひとまわりしたが空いてなかったので、またもどっていくとそのおばちゃんが「はい、こっちこっち」と他のおばさんを制して捕まえに来る。ひとつまちがえばひかれそう。

 荷物を降ろしてもっと遠くの場所に止めさせようとするので、「うちはこの子が訳ありで、車が海の家のそばにないと困る」とやっとこっちの意見が聞き入れられて、近場に止められた。おばさんのペースのままだと、みんな言うことを聞かせられて、遠くに止めさせられているんだろうなあ(笑)

 海はその約30年前よりもずっときれいになっていた。護岸工事をしたようだが、景色そのものは昔のまま懐かしい。

 感慨に浸るまもなく、直線的に海に突っ込んでいくS。遠浅だし、フローティングベストなる浮くベストをつけさせているから多少は安心だが、やつのあの怖いもの知らずさがおそろしい!

 その後、SにはSじじがつきっきりでお世話? 泳ぐというよりは、行ったり来たりや、浮いたりや、海中の水草を足で取って手でちぎる…などを楽しんでいた。

 昼食はまた違う海の家で食べたが、「氷」の旗のおかげですんなりと入れて食事もスムーズ。私が頼んだカレーライスは20秒で出てきて、その味はまちがいなくククレカレーであった。

 さっきの強引な勧誘は、民宿立石さん。昼にくつろぐには気持ちよさそうな古民家(掘っ立て小屋)だが、夕方みんな同じ頃に帰ろうとするから大混雑。シャワーは6箇所あるから大丈夫と思いきや、みんな同時だとシャワーが全然出ない(笑)。しかも個室ではなく男女共通スペースで着替え場所は別のところ…こういうときにシャワーに当たると勝手に脱いでしまうSには困ったもので、本人は平気だが手伝う私たちは大混乱であった。

 海は良かったので、実家から近場で海に行きたいときはここだ(海の家は違うところにして…)と記録しておこう。

 この日の夜は高校時代の友人たちとの飲み会。海帰りに送ってもらい早く降ろされたので、亀山八幡宮まで散策に。ここは、ちょっと淡い青春の思い出の場所である。昔のままに静かだが、好きだった場所のベンチは移動され、そこから見えていた南側の眺望は、唐戸市場がリニューアルされて残念なことに…。東側(たぶん)は関門橋半分と船が見えるのでベンチもそちらに移動されていた。

 さて飲み会。その隠れ家的な店は高級店の隣にひっそりとあったのだが、料理がうますぎる。ひらめかふぐ(確認し忘れ)の刺身も身がしっかりしていてうまい。うなぎもうまい。他にも食べたが忘れた。これだけ食べて、飲んで、普通のお値段(しかもせまいお座敷を貸しきり)はすばらしい!

 2次会?でも飲んだ後、今年は携帯電話とともに無事帰宅。帰ったらまだ11時頃で、翌日みんなは仕事があるとはいえ、あがるの早すぎ!…と酔いすぎる前に連れ帰られた感がいなめないのであった。
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2010/08/09
下関帰省 7
 今度は祖母(Sばば)方の墓参りに。ここは旧市内で近く、三方が海の高台である。水道の蛇口もあるのだが、せっかくなので井戸水をつるべで汲む。冷たくて気持ちいい。Sは深い井戸を覗き込む。そっとのぞくと思いきや、身を乗り出して乗り出して、ああおそろしや…深さ10m近いと思うので水面もそうそう見えないが、それでもさらにのぞこう(落ちよう?)とするSに恐怖。やはりこの男からは目が離せない。

 ちょうど近くを通って時間もあったので、自分の卒業した小学校へ。門が開いていないかな…とあきらめかけていたら、遊んでいた児童が中から開けてくれてすんなり中へ。

 Sは入るなり、大きな滑り台を見つけて駆け上がる。階段ではなくて滑り台の坂を駆け上がる。そして上まで一気に上がると危険な塔?の上にもう乗っている。
バランス感覚は信頼してみていられるSとはいえ、それでも大丈夫かと考えるような高さである。安全上こういうものすべてが低くなっている都会に比べると、その「のん気さ」が、いいぞ下関! たぶんこの危険と紙一重なところがSにはたまらないのだろうなあ。

 その後で、ブランコに乗る。これも昔ながらの木製だ。だからといって自分が小学生のときのものとはさすがに違うとは思うが、同じ場所にあるブランコに息子(それもちょっと変わった)が楽しそうに乗っているのは感慨深いものがあった。

 校舎のデザインがそのままなのもうれしい。10年前くらいに見たとき、「同じデザインで建て直した」と思ったら、外壁を塗り替えただけだった…のを確認したから、多分今もそうだろう。木造の内装部分もさすがにやり直してはいるだろうが、不法侵入者としてはそこまでは入り込めなかった。

 遠くから見る限り、体育倉庫がそのままだったのには懐かしいのを通り越して唖然とした。だって30数年前にすでにぼろかったんだけど。

 小学校で遊んだ後、目的の『海峡ゆめタワー』へ。同じ関門海峡をいつもは門司側のタワーから見ていたが今回は下関側である。なんとこの『海峡ゆめタワー』(名前が覚えられない)は、あの横浜マリンタワーよりも展望台の位置が高い…らしい。

 見学を終えて、昼食のため唐戸市場に。しかしお目当ての2階の回転寿司は行列。あきらめて隣のカモンワーフで探すもののこちらも行列。平日でもダメか…と唐戸市場に戻ると人が減っている。チャンス!と店に入ると3時(2時だったかも)閉店でもう締め切ったらしい。この店を我が家が使うことができる日は来そうにないなあと思いながら車に乗り込むと空が暗くなってきた。食事場所を探して車を走らせるうちに大雨に。

 海沿いを長府方面に向かっていて急に思い出した。そうだ、「しずか」という「家族で外食をするときはここ」みたいな店が昔あったぞ
 車が入り、大雨の中、メニューだけ確認に行くと、「瓦そば」の文字を見つけて一発OK!しかもすいている。場所は「平家の一杯水」という伝説も伝わるようなもろ平家の皆さんが亡くなって海岸に流れ着きました…という海峡沿い。関門橋も大きな窓からよく見える。

 瓦そば(本当は「たかせ」という店のオリジナル)もあるが、お寿司もうまかった。リニューアルして、感じが昔とは違うが、高級感はあるけどそう高くないし(ランチだからだろうが)、海峡を行きかう船を眺めながらの食事は観光客にはお勧めである! ただし車じゃないとちょっと来られないか。
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2010/08/10
下関帰省 8
 最後の最後まで泳ぐ旅行である。Sはまさに満喫。これで全行程8日間のうち5日間泳いでいる。この日はちょっと遠出をして、土井が浜海水浴場へ。遠出といいながらも市町村合併の結果下関市内なのだが…。

 その前に寄るところが2箇所。社会科関係のDVD(テレビから録った番組いろいろ。授業に使ったり自分が勉強したり)をたくさんダビングしてくれる友人(現教諭)がいてそれを受け取りに寄るのだが、先日の飲み会のときにそれを託された友人が持ってき忘れて、さらにそのときのより追加があるということで、その両名のところに寄る事に。二度手間だなどと言ってはいけない(笑)。

 まずは、その持って来忘れたPという友人の会社へ。彼は小学校から大学までほぼ同じで、その神童だった時代(ないか?)から高校の定期テストで一番だった時代(後ろから)までよく知っている。その彼は、父亡き後、家業をついで今やちゃんとした会社のちゃんとした(たぶん)社長なのだ。
 会社の場所が以前と違うこともあり、入り口を探しやっと入る。少し話をしながらも何か落ち着かない。理由がわかるとともに思わず口にした。
「お前がちゃんと働いとることだけでも不思議なそい、ここがお前社長の会社かと思うと、なんかケツのすわりが悪い」

 さて次はそのDVD作成(編集&コピー)者の上Pの学校へ。こちらは息子の通うのと同じ、いわゆる昔の養護学校である。こちらでは「総合支援学校」というらしい。「特別支援学校」より何か響きがいい。
 入り口で話している業者のおっちゃんをスルーして、携帯電話で呼び出して玄関で会う。本当はSもおろして学校見学という手もあったが、時間もないし、こだわりの楽しい遊び場でも見つけるとその後が大変そうだったのでやめておいた。
 先の、玄関の業者のおっちゃんはどうやら校長と副校長だったらしい(笑)。まあ、そうまちがえられるようなムードの人が管理職っていうのはいいのかも…。

 その後、一路、土井が浜海水浴場へ。角島に橋が架かる前までは、ここに九州からのお客が押しかけ、超大混雑の場所であった。2km以上の長い砂浜。そして若者たちが出会いを求めて集まる…とその出会いを夢見て高校時代に男数十人で泊まったことがあったなあ。
 ちなみにその時、夜、からまれた福岡のヤンキー兄ちゃんグループと親しくなるという出会いはあった(爆) 最後まで強豪私立の柔道部員のふりをし続ける羽目になったが…。

 で今回、人は少なくなったが、どちらかというと若者(バカモノ)が減って、家族仕様になったので今となってはいい感じ。

 海の透明度は半端でなく、自分の足が見えるほどきれいで、たぶん角島とはほとんど変わりないと思われるので、観光客に超お勧めである!
 これは池田監督の「エーゲ海に捧ぐ」の世界です。行った事はないけど。

 これは我が家用のメモ。
 車を止めるのは土井が浜遺跡の看板から2つめの小道を左に入る小さな土井が浜海水浴場駐車場。他より安く(600円)、温水シャワーが300円で使える。
 食事の時は土井が浜「南」海水浴場という名の海の家。「サザエさん」という海の家のひとつ北側。揚げ物が特にうまい。イカげそ、たこ焼き。カキ氷、枝豆、インスタント麺もあり。
 こっちに止めると駐車場(800円)でシャワーが冷水(300円)なので、隣に止めて食事だけするのがおすすめ。川ひとつ渡るだけだが、車での道はだいぶ違う。

 この日は台風が迫っていて風が出始めたせいか、波はまだほとんどないのに、潮の引きがすごかった。我が家が川で使っているのと同じ「すいか号」に乗っていたちびっこ兄妹に、放送マイクから「流されていませんか~。救助が必要なら手を振ってください」という声が流れた。みんな注目するが、たぶん聞き取れなかったのか二人は反応なし。しばら注意してみていると、あっという間に赤い旗を越えて、沖の方に行ってしまった。
放送で「レスキュー、近くにいたらお願いします」と流れたが、しばらく何の反応もなし。帽子のたくましいお兄さんが泳いでいくものと思っていたので、「誰もいないのか? 大丈夫かよ」…と思っていたら、1分位して、エンジン音が響く。ジェットスキー出動!

 弧を描くようにして要救助者の元へ。といってもおぼれてはいなくて、スイカの上にお行儀よくのっているちびっこたち。で、私たちの泳いでいるあたりにまたジェットスキーがゆっくりともどって来た。なんだかきょろきょろしている。おうちの人が「ありがとうございます」とか駆け寄るような感じがなく、子どもたちのほうが探している。無事、おうちの人のところに戻ったが、兄妹号泣、保護者知らん顔…であった。大事になって恥ずかしかったのかもしれないが、大丈夫か…。その日の間ずっと、すいか号を見る度にその位置が気になるのであった(それがまたいつも他の人たちより沖のほうにいるから懲りないっていうか)。

 この夏最後の海をSは堪能していた。

 帰りに、川棚温泉ぴーすふる青竜泉に寄る。温泉なのにひとり500円くらい。温泉は熱めの所が多いが、ここの狭い露天は温度も低くSもくつろぐ。
中の湯船の一部に、電気風呂の部分があって、そこにSじじが入っていた。私は電気風呂に入ると心臓がビクビクッとするのでなんだか恐くてあまり入らない。
 Sじじに呼ばれて、近づいてきたS、まず手を入れてしびれを感じて、ギャハハと喜んでいる。そのすぐ後である。Sは大きくなったおちんちんを先頭にその電気部分に近づき、ギャハハハ言いながら、大喜び…やばい世界である。自然現象だからしょうがないのだろうけど、ちょっと参ったなあ。

 夕食は自宅のそばでお好み焼き。「川もと」というなかなかおいしい店で、お好み焼きのミックスをやたらと食べた。関東でもお好み焼きの店には家族で行くが、Sが食べるのは鉄板焼きのイカ・野菜と焼きうどんなので、お好み焼き本体をたくさん食べたのには驚いた。「おいしいもの」や「本物」がこの男はどうも直感でわかるらしい。
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2010/08/11
下関帰省 9
 台風が追いかけてくるような形で東進していたので、予定の新幹線より一本早く出ることにして自宅を後にした。

 別れがわかるのか、SはSばばに甘えまくるサービスをしていたが、もう6年生なのでひざの上に乗ったりされても大変そうである(笑)

 広島まで乗った「こだま号」がとても快適だった。その後、それよりも特急料金が高い?スピードの出る「のぞみ号」がイスも通路もせまくてくつろぎにくい…そう思っていたら同じことを言っているお客が他にもいた。スピードと効率ばかり追い求めた結果、こうなってしまったのか。文句は言うけどすぐ夢の中に入れる人と、音楽聴いてルンルンのSには関係がないようだ。

 東京駅を出て、途中下車した駅で食事をして、自宅に着いた。また一年以上は行かないんだろうなあと少しさみしくなる。他の旅行も好きだが、自分の実家に帰るこのときが一番いいなあと遠い目をしてすごしている(笑)。かといって「住もう」という風には思えないのだが…。


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